放浪コラム
オフロードバイクは走るよ
2007年08月30日 01時26分
これも1998年。熱いこと書いてるな。この時のバイクは2000年に売られていきました。
久しぶりにオフロードバイクが手元にやってきた。「YAMAHA DT125R」。学生時代に乗っていた「KAWASAKI KMX125」を義理の兄貴に売り払って以来である。正確には会社所有の社用車になるのだが、まぁ自由に乗ってよい。普段は自転車はおろか歩くことさえほとんどしない、田舎の車社会にどっぷり漬かっているので、バイクの乗り方も忘れていた。乗る前に頭で思いだそうと考えたが、重いだせん。ままよ、と飛び乗ってみると体は覚えているんですよね。アクセルの具合も、クラッチの切り方も体重ののせ方も7年ブランクあっても関係ない。
ところで、僕の住んでる四国は林道天国だ。全国のオフローダーが夏休みともなると大挙して押しかける。北海道を目指すライダーとはまた違った雰囲気である。有名なところでは「剣山スーパー林道」という全長80km以上のロングダートがある。小さいタンクのバイクではガス欠と隣り合わせのロングランだ。フラットな地面なので高速のギアが使えないわけではないが、そこはダートなので気は抜けない。事故も毎年多発している。
ところで、四国の林道は大半が「林業の為の林道」であるのは事実なのだが、そういう産業用林道はほとんど進入禁止になっている。で、オープンしているダート林道はスーパー林道をはじめとして、「観光用林道」が多い。
「工事のための林道」も多い。これは「工事用アクセスルート」としての林道というわけではなく、「地元の土建屋さんにお金を落としてあげるために税金を投入するために、必要かどうかよく分からんけど、まぁ、線引きやすいし、いっとこかぁ」という林道だ。これは台風が来るたびに通行止めにして改修工事もできるようなやわな設計なので、あとあと「税金を使って工事をする」のが簡単になるのだ。これで山村の土建屋さんは食いっぱぐれがなくなる。どんな山の中でも土建屋さんだけはちゃんとある。
そんな林道に心を浮付かせて通っているのだから、僕も弱い人間だ。片棒担いでいる。野外で遊ぼうと思うと釣りにせよ、バイクにせよ、山スキーにせよどんなに、「ローインパクト」と心がけても「公共事業」などで間接的に自然を痛めつけているのだろう。これは永遠のジレンマだ。ただ、「お前のエゴちゃうの?!」と言われても今はオフロードバイクで自然の中に無理に作られた林道に出かけて行ってしまう。だって、まだ数日目やもん。しゃーないやん。
非婚時代
2007年08月30日 01時16分
これも1998年のエッセイ。いろんなこと書いてるな、俺。
先日、徳島の友人の所に行ったら既にワインが入っていていい気分でご夫婦で酔ってらっしゃる。つられて僕も飲んでしまった。まったく僕にとっては理想のご夫婦という感じなのだが、本人たちは「そうでもない」という。相手に不満は無いのだが、制度自体に不備を感じるというのだ。
この二人が先日、共通の友人が開催する「非婚を祝う会」に出席してきたというので興味深く話を聞いた。女性の方が自営で書店を経営されていて、男性も個性的な実業家。お二人が経済的にも自立しているからできる形態かもしれません。で、その祝う会はというと、みんな仮装で出席していて心からお祝いしているのが写真からも分かる。非婚と言ってもどうもこのお二人は「事実婚」のよう。入籍しないのだからどちらかの姓が変る事も無い。子供も産むだろうということだが、それが理由で入籍という事もないそうだ。
そこまで話が進んで友人夫婦(アツアツの)女性の方がポロっと一言。
「結婚はやっぱり破局のはじまりよー。」
パートナーの前でよく言うなぁという感じだが、結婚は相手との一対一の関係ではなく、結局家も絡んだ契約の話というのだ。男女の問題以上に束縛が多くなる。そのことがパートナーとの関係も悪化させる・・・。
ちなみに僕は結婚において「男女別性」は選択の一つとして早く採用すべきだと思っている。事実婚も法律的に不利な点を減らしてあげるべきだろう。そういう柔軟な結婚形態が増えていけば本来の「非婚」も減っていくのではないか。
「男女別性など日本の伝統に反している!!」
という固いやつがいるが、江戸時代以前はそれが当然だったのだ。僕は平安時代の通い婚が一番えんちゃうかなぁとうっとりしている。
方言で行こう
2007年08月30日 01時02分
これも1998年。
いわゆる新年度がスタートしました。新入生、新社会人の方は今までと違った生活が始まったと思いますがどうですか?毎日のリズムの変化とともに、身の回りの人の変化も大きいのではないでしょうか。特に各地方から人が集まるような場では、受験の話題、就職活動の話題とともに方言がけっこう「つかみ」として話にのぼりますよね。
僕は「香川→京都→千葉→東京→名古屋→香川」という変遷をたどりましたので、自分の言葉がよく分かっています。京都時代は恥ずかしくも関西弁が会話の中に混じりまして、地元の関西人からは恐らく軽蔑の眼で見られていたのでしょう。東京ではその流れで、讃岐弁ベースの関西語混じりで過ごしました。関西以外の方には「森田君、関西出身?」と言われたりしました。名古屋時代は既に何語をしゃべっているのか自分でも分からなくなりましたが、さすがに名古屋弁には染まれませんでした。「標準語を名古屋弁に訳しなさい」という設問にはけっこう回答できるんですけどね。
で、地元に帰ってくると一発で讃岐弁が復活です。ブランクは関係ないですね。そもそもブランクがあったこと自体変な事かもしれません。どうも、「いかん、今の方言や。通じてないかも?」と卑屈に考えて、標準語なり関西弁なりの多数派言語に変換していたみたいです。その延長でイントネーションまで妙に変わってたりして。思うに、「方言のまま通す!」という地方分権時代には尊敬に値する行動は、分かっていても難しいようです。
が、僕が学生時代に同じクラスだった女の子は素晴らしかったです。彼女は宮崎県出身のかわいい、書道が無茶苦茶上手い才女で、授業も一度も休まない真面目な女姓でした。一方僕は「授業を休む権利も学生にはあるのだ!」という馬鹿な不真面目学生なのでテスト前には常に友人を頼る男でした。英語のノートは決まって、その宮崎出身の女の子に借りていたのです。普段、彼女はかわいい、けど難解な宮崎の言葉「日向弁」を操って僕らを当惑させるのですが、借りたノートのコピーをテスト前日深夜に見てビックリ!何と英語の和訳がどうも日向弁混じりなのです。
おかげで、お馬鹿な男友達数人と朝まで「日向弁→標準語」の訳をすることになりました。
恋の結晶作用
2007年08月30日 00時50分
1998年頃のエッセイです。恥ずかしいですね。まぁいいや。
僕は女の子を口説いたりする時(もうしませんよ)、よく恋愛論を多用した覚えがあります。学生時代の専攻が「人間発達論」というあんまりメジャーじゃない学問だったのですが、これは生まれてから死ぬまでの人間の葛藤をテーマにしているので、けっこう「経済学」や「産業論」に比べて、実戦向きの役に立つ研究だったりするんです。まぁ、ほとんど飲み会や営業の席の話ですが。
その研究の中で学生が盛り上がったのがやはり「恋愛が人間に与える影響」などを研究する「恋愛論」。うっとり系の女子学生が一番力が入っていたようでしたが、ただ資料を眺めていただけの僕もキーワードは覚えてゼミを終えました。
さて、その中でけっこう重要なキーワードは「恋の結晶作用」。簡単に言うと、会わない間に相手のことをどんどん理想に近づけていく。さらに好きになった異性の趣味や普段の行動までが自分と重なってきて、それに合わせてしまうような作用のことです。例えば、彼がロックが好きなら、それまで反町とか聞いていた女の子がいきなりエアロスミスを聞きはじめたり。彼女がパイナップルが嫌いだといえば、自分もなんか食べなくなったり。どうですか?みなさんにも大なり小なり覚えがあるでしょう。
そんな淡い恋愛の最初を形作る小道具に、音楽と本があるんではないかと最近思い始めました。この媒体の貸し借りがけっこう結晶作用を作っちゃうんです。歌詞がせつない曲を借りてしまうと、相手の人生がその歌の中に込められているような勘違い(違いじゃない場合も多いですが)が起きてしまうんですね。少女漫画なんか顕著ですよ。恋愛ものを借りてしまうとヒロインが相手にみえてしまったりと重ねてしまうんですね。なんなら、身近な気になる女性に漫画を借りてみて下さい。けっこう自分を燃え立たせる近道かもしれませんよ。
高山病で熱が出た。そして化学物質へ。
2007年08月20日 18時13分
これも昔のエッセイ。1998年。
最近、身の回りや昔の友人たちで「出産」「妊娠」が相次いでいる。僕の年齢がそんな時代になったんだろうけど、僕が思うのは「みんな大丈夫なんやね。」ということ。
実は恥ずかしい告白で、こんなこと書いてしまうと嫁さんがいなくなってしまうかもしれないんだけど、ちょっと僕には「疑惑」があります。よく、「大人になってからのおたふく風や風疹は高熱を出すので、種無しになる可能性があります」と言います。僕はこれには該当しません。(たぶん)
が、学生時代にアフリカでケニア山という富士山より高い山に登った時、高山病になっちゃいました。4,300mの山小屋でふらふらとなりながらタイ米の雑炊を作り、とにかく食べ、頭痛と吐き気を我慢しながら一夜を過ごしました。で、その時、体温計を持っていたので計ったんですが忘れもしません。振り切れていたんです。
ご存知のように、水銀体温計の表示は「42℃」まで。とっくに過ぎてました。それを見てくらくらきた僕は浅い眠りに落ちていったのです。
さて、ここで安心材料は「そんな体温なら死んでいるはず」「気圧の関係で正しく計れていない」「夢を見ていた」などですが、疑惑をはらすまでに至っていません。「病院に行く」ことで済むのですが、どうもねぇ。
(注:2007年現在、めでたく一男一女に恵まれました)
と、「ひょっとしたら生産縮小工場」の話を書きましたが、何も高熱だけが「精子激減」を引き起こしているのではないですよね。
フロリダで「ペニスの無い雄ワニ」の報告があったのははるか昔の事。今では僕たちの世代の男は戦前の男の半分の精子量しかないとの報告もあり、さらに急ピッチで減っていっているとされています。この引き金になっているのが化学物質。なかでもホルモンとよく似た働きをしてしまう環境ホルモンが問題になっています。僕らの身の回りはそんな物質で溢れかえっているんでしょう。
そこで、生活スタイルを一度に変化させる事ができるのかというと、これが難しい。便利になれてしまった僕らは悪いと分かっていても駄目なんです。先日も女の子に「リップクリームは使えば使うほど本来持っている水分保湿の能力を落として、どんどん荒れてくるよ。」と言ったところ、「やめる」と宣言していたのですが、毎日数十回塗っていたものは簡単に止めれず、結局つけてるみたいです。僕の家の田畑も「農薬」や「化学肥料」を悪いと分かっていても使ってしまっています。その地下水を井戸から飲んで「水道より美味い」と言ってるんですからお粗末さまです。
僕らはしっぺ返しが自然からくる事を半ば自覚しつつ「汚染」を続けているんでしょうか?界面活性剤、化学物質を使った日用品がCMから無くならないのはしょうがないんでしょうか。そうじゃないはずです。人から「気取っている」と思われようが、「苦労」や「不便」を感じようが「次世代」を作る気があるなら、僕らは生活スタイルを変えなくてはいけないと思います。
バッファロー
2007年08月17日 12時50分
10年近く前に書いていた文章がけっこう見つかったので、ちょっと掘り起こし。今後もシリーズ化。
サラリーマンでも海外でのんびりキャンプする事は可能。僕も数年前に9月に会社をサボって、同僚数人と友人、計4人でアメリカの国立公園めぐりなどをした。
あっちは1泊、$7~$10ぐらいの料金でテントが設営できる。その日も最初のロングランに疲れて、イエローストーンのキャンプサイトにて早めに休む事にした。
テントを張って、食事の準備。夕方の5時ぐらいだが緯度が高いのでけっこう明るい。ふとそばの看板を見ると、英語でこう書いている。
「注意:ここはバッファローの通り道ですよ」
バッファローと言えばケビンコスナーの映画でも大量に出ていた大型の水牛。バイソンなどとも呼ばれている。
「へぇ、おもろいなぁ。見てみたいわぁ」
の、数分後。何やら地響きがしてくる。野菜を切る手を止めて遠くを見る。
「ん?」
草原の遠くにどうも黒い蟻みたいなのが密集している。それが徐々に近づいてくる。
「あかん!すごい量や」
が、気がついた時は既に手後れ。彼らは僕らのサイトをかすめて通るコースを取った。
「セーフ!たすかったー」
テントと食事が安全となると、僕らは急に観光客に変身。なんせ、3mぐらいの距離をバッファローが通り過ぎているのだ。こんな経験はめったにできない。数にして数千頭。んー、壮観な眺め。と、感慨にふけっていると、無謀な友人Yがカメラ片手にかなりの至近距離に迫っている。
「やめとけ!」
の僕の声を無視してさらに近づく。と、次の瞬間、バッファローが猛スピードで反転してきた。
「!!!!!」
友人Yは目をむき出して走ってくる。当然、バッファローの方が速い。が、寸前でストップしてくれた。
友人Y「バッファローの目が優しい目から急に恐ろしい目に変ったんや。」
まさに「ナウシカの王蟲」の敵色信号。
友人Yは
「俺はあの時一度死んだんや。これからの人生はバッファローの保護に生きる。」
と言ってました。
自然と接する時はいつの日も「ローインパクト」でね。
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