以前、僕が生まれ育って今も住んでる十河地区を舞台にした映画が作られたという話は書いたけど、今週の月曜日の夜にその上映会が地元のコミュニティセンター(公民館という方がしっくりくるなぁ)で行われた。スタートの19時前に行くと既に100人以上が集まっていてすごい熱気。オドオドしてると知人友人が手招きしてくれて前のほうに着座。
仕掛け人のひとりで「エグゼクティブプロデューサー」の肩書きの僕の兄の話からスタートして、キャストやスタッフの方の裏話なども交え、ものすご楽しい上映会。知ってる顔や知ってる場所、そして耳なじみの会話パターン。見てて胸アツになるシーンの数々。上映後のおっちゃんたちのユーモアたっぷりの感想。素敵な時間をありがとうございました。
で、そんなスクリーンの中の故郷の風景と、マイクを持った兄を見ながら僕は違ったことを思い出していた。それは子供頃に母親に何回も聞かされた兄関連のネタ話・・・。
僕が生まれたころは、今の「十川」とは似ても似つかぬ田園風景。(今でも田んぼがメインだけどね)
小学校と家の間に片側二車線の道路はもちろんないし、用水路にコンクリートも登場していない。小学生は毎日違う畦道を歩いて通学していた時代。
僕の兄は小学校に入る前、つまり僕が生まれたころから既に活発に近所の友達と遊びまくっていたようで。父も母も、じいちゃんもばあちゃんも忙しかったので、4歳児、5歳児でもほったらかし。車もあまり通らなかったしね。
兄は近所の友達と、男子らしく、よく家を建てている現場の石(いわゆるバラスですな)を取っては遠くの田んぼに投げ入れていたらしい。「石を遠くに投げる」という行為は、男子を奮い立たせるのだ。そのうち気持ちもエスカレートして「前へ、前へ。。。」という気持ちが先行して、気がつけば田んぼの畦から転げ落ち、ひとつ下の田んぼに転落。
転落したのが田んぼならよかったんだけど、そこにあったのが「のつぼ(野壷)」。いわゆる、肥溜めだったから最悪。僕は入ったことないので知らないけど、頭の先まで入れるぐらい深いらしい。兄のうっすらした記憶ではトノサマガエルと目が合ったんだと。
肥えまみれ(もっと簡単にいうとうんこまみれ)の兄は泣きながら家に帰ったわけだけど、帰ってこれらた家族もたまらん。もちろん家にはあげてもらえず、井戸のはたで、遠くからひしゃくで水を、罵声と共にかけ飛ばされたようだ。風呂に入っても臭かったらしい。
その話を聞くたびに、僕は「兄には追いつけない」と思うのだ。