今日は息子の9歳の誕生日です。
僕は大学で「人間発達論」というものを研究していたのですが、恩師の加藤直樹先生は少年の成長と言う分野の専門家でもあって、「9歳の壁」の研究の第一人者。僕もこの「9歳」という節目はとても考えさせられます。
わかりやすい勉強から、抽象的な勉強へ移っていくと言う意味での壁でもあるんだけど、僕としては自我が目覚めて、大人の階段を昇る時の様々な葛藤としての壁の方が自分の過去と照らし合わせるとスッと入る感じです。
最近では息子もしれーっと嘘をついたり、叱っても素直に聞き入れず屁理屈こねたりします。「このやろう!」とは思うのですが、僕の本心では「ふむふむ。成長していってるな」と逆に嬉しくなったりして困ります。僕が子供の頃に比べたらぜんぜんかわいい悪事なので微笑ましいのもあるんですけどね。ほんと息子を叱り飛ばす資格がないぐらい悪かったと思います。
僕の父はさらに僕の数十倍悪かったようで、たまに父の悪事の数々を聞いた夜がありました。それはそれはひどいものです(笑)。
父も僕を叱っていた時は、心の中で「まぁ、俺に比べたらましやけどな。まぁ、殴っておこうか(笑)」ってことがあったのかもしれませんね。
ただし、あの夜の父の拳骨だけは本気でした。3年ほど前にまとめたものがあるので、長文ですが書いておきます。
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僕は小学校3,4年生の頃に、なぜだか二年上の学年のお兄さん方と日によって遊んでいた時期があった。特に不良グループってことではなかったんだけど、同級生とは違ういろんな刺激的な遊びを教えてもらった。というか、一緒に開拓していた。
その中でも当時はまだゲームセンターさえない時代に、三木のマルナカなどにいってはゲームコーナーで遊ぶのが一番の刺激だった。ブロック崩しが最初はメインだったが後にスペースインベーダーが設置され、それはそれは大ブレイク。
とは言え、小遣いなど僕が持っているわけはなく、最初はお兄さん方のを見てるだけだったんだけど、そのうち、家の中の小銭をくすねては遊びにいくようになった。小銭どころか、札を持って出ることも増えてきた。で、まぁ、そのうちばれるんですが、それはそれは物凄く叱られるわけで、叱られた夜は僕も猛反省。
ところが、あの手のゲームと言うのは中毒症状があるわけで。そのお兄さん方が卒業した後も、同級生仲間と三木のマルナカ内で拡大された「ゲームセンター」にはよく通うことに。その度に、また家の中のお金を盗んで出動。ギャラクシアン、パックマンはプロ級。特に、ムーンクレスタというゲームには何円つぎ込んだことかわからんぐらい・・・。上手くなりすぎて、1コインで長く遊べるほどになってしまった。
5年生ぐらいだけど、この頃は、僕の中でも、
「あぁ、このままじゃろくな人間にはならんだろうなぁ」
というのはうっすら想像され、テレビで「不良」やら「少年犯罪」などのキーワードが出てくると自分のことを言われているようでビクつくような感じだった。
だんだん僕に対する警戒度が家の中で高くなってきて、けっこう頭をつかわないと軍資金調達が難しくなっていく。買わない参考書のお金をおじいちゃん、おばあちゃんからもらうのも無理が出始めていた。
そこで僕は考えたわけだ。
僕は小学3年ぐらいからソロバン塾に通っていた。当時はみんな通っていたので、特に算数が好きだとか、得意になりたいという気持ちも無く。
ところが、5年生の終わりぐらいから休みがちになり、昇級試験も受けなくなっていた。ソロバン塾に通ってない友人たちと遊ぶために二回に一回は休んでいた。
それがもうぷっつり行かなくなってしばらくたって、僕は思いついたのだ。悪魔に魂を売っていたとしか思えない。(そんなことはないですが)
「そうだ!ソロバンの月謝をパクってやろう・・・・。ふふふふふ。」
僕は久しぶりに月謝袋を準備して、多少切り貼りしてパッと見、しばらく休んでたようには見えないようにして、母に遠くから見せて、月謝を入れさせた。4,000円ぐらいだったろうか。
その金でゲームセンターなんかに出向いたんだと思う。情けないことに覚えてさえいない。
翌月も同じ方法で、また月謝を盗んだ。
そして、たっぷり悪い遊びをして家に帰って、お腹もすいたし夕食を・・・と思ったとき、その光景に驚愕!!
なんと、ソロバン塾の先生の見慣れたボロ車が止まっていて、どうやら母がやってる散髪屋で髪を切ってるみたいじゃないかい!!!
(おいおいおいおいおい!!そりゃーねーよー!)
恐る恐る家に近づく僕。実際問題、家出も考えたけど、それで解決するもんでもなく。まぁ、今までも散々怒られる場面もあったわけで、なんとかなるさと腹をくくって、堂々と自転車を乗り付けてみた。
すると、すぐに母が店から出てきて、
「あんた。もうぜんぶわかっとんで。後で話するけん、逃げたらいかんで」
「は、は、は、はい・・・」
それからソロバン塾の先生の散髪が終わるまでたぶん10分ぐらいだったと思うけど、長く感じた。
やがて母が店から家に戻って、取調べが始まった。最初はいろいろ言い訳しようとしたんだけど、無理そうだったので、あきらめた。
そこに父が戻ってきて顛末を聞いた瞬間、
「ボガッッ!!!」
これ以上にないほどの力で僕は吹っ飛ばされた。人生で一番強烈に殴られた瞬間だ。口の中切れていたかもしれない。その後、もう2,3発は殴られた。
さらに間髪いれず、羽交い絞めにされて、散髪屋に連れて行かれた。
(げげげげ!!ひょっとして!!!!!)
そうなのだ。僕は当時、わりと学校でもかっこつけていたほうで、小学生のくせに髪にも気を使っていたりしたのだ。
僕はあっけなく坊主頭、しかも五厘刈りレベルの、それはもう出家でもするんですかという青い頭になった。それはそれはあっという間。
僕の髪を切ってるときに、母は思いっきり泣いていた。僕も泣いた。泣きまくった。泣きまくったが、じっとしていた。母はさらに泣いた。母はそれでも、青くなった僕の頭のスソや耳の横をきちんと丁寧に剃ってくれて、綺麗な頭にしてくれた。
放心状態の僕は味もわからないまま、泣きながら夕食を21時頃に食べた。そして泣きながら寝た。
僕の小学生時代の、一連の悪さは、この夜を境に終わりを告げた。実際、この夜に坊主にしてもらったおかげで、僕は悪いことはやっちゃいけないという人間性に対してやっと目覚めることができたんだと思う。僕の人生での最初のターニングポイントだった。
それにしても、坊主頭になった時に、幼少時代に竹が刺さった時の「ハゲ」が鮮明になってて、貯金箱のコイン入れるとこみたいだったのは、それはそれでショックだったな。