先週の金曜日、大好きだった祖母、おばあちゃんが永眠しました。僕の50歳上で、91年と10ヶ月の生涯でした。倒れてからわずか5日間。あっという間のできごとでした。お見舞いに行ったときにはまだ意識もはっきりしていて、
「はやく治して帰ろうね」
「そうやね」
という会話をしたばかり。手を握ると強い力で握り返してきてくれました。田畑を長年耕してきたとは思えない、柔らかいあたたかい手でした。今でも感触が残っています。
おばあちゃんは、独身時代も苦労の絶えない大正女で、おじいちゃんのところに嫁いだ後も、いろいろと大変だったようです。戦中は、おじいちゃんが大陸、南方へと兵隊に出ている間、僕の母と二人で僕では想像もできない苦しい時間を過ごしたとのこと。
おじいちゃんが復員してからはおしどり夫婦で、娘が三人に、孫が8人、曾孫が14人とそれこそ子孫繁栄。曾孫はまだまだ増えていってます。
僕は末っ子だったこともあって、猛烈なおじいちゃん子、おばあちゃん子でした。あまり自覚がなかったのですが、かみさんに話すと目に余る甘えん坊のようですね。代表的なことでは、僕は小学校の5年生まで祖父母とお風呂に入っていて、なんと自分で体も頭もあらったことがなかったのです。今、息子に「はよ体洗って風呂から出て来い!」と言いまくってる父親になっているのが不思議です。
面白いことは全ておじいちゃん、おばあちゃんの現場にあるということで、学校や友達との遊びから帰ってくると、常に二人の姿を探していました。冬でも暖かいビニールハウス、マッシュルームを作っていた菌舎、かぼちゃの畑。僕の学びの場だったと思います。体全体で感じさせてくれた二人でした。
想い出を書き始めたら、百科事典なみになります。
ご近所の方にお手伝いいただき、親類縁者、関係者に見守られ、無事昨日葬儀、告別式を終えました。ありがとうございました。
僕の中で大きな大きな存在だったおじいちゃんが亡くなったのが20年前。僕は20歳でした。僕にとっては、おじいちゃんが亡くなる前、亡くなった後、という人生区分になっています。
そして、おばあちゃんが亡くなり、またひとつ新しい時間が始まったようにも思います。
悲しいし、寂しいのですが、二人がまた一緒に暮らしていると思うと楽しいですね。
素晴らしい時間を、おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう!