もう落ち着いた感がありますが、日本においてかつてないほどスーパーコンピュータが議論の対象になりましたね。
僕は日立時代とSGI時代に、日米双方の立場でスパコンの営業をしていました。
日立に入って配属され、文部省の研究所の担当になった時、最初の仕事が、ワープロで作られた稼動中のスパコンの全部品、型番別のリストの更新でした。一般的な汎用機(メインフレーム)では、100項目程度で収まるのが、スパコンの場合は、AAから始まって、PAぐらいまで項番がありましたから500個ぐらいのハード製品やソフト製品の集合体だったわけですね。
メモリ追加とかソフト追加のたびに項目増やすのでメンテが必要だったんですが、オプション追加の随意契約でも、何かと書類が必要だったのを思い出します。納入実績になってしまうので、表面上は一定の値引率に抑える必要があり、契約上は別型番を作って、カタログもなんとなく作ってとか。
そのリストは、正式な価格と、値引率が書かれているのですが、新入社員の僕には目を丸くする数字が。「93%」とか、「98%」がほとんどで、それは掛け率ではなく、「93%引き」ということを表していたのです。いったい、定価ってなんなんだろうと心配になりました。上司が言うには、象徴的なお客様なので、ここはどんな値引きしても取らないといけない。この実績で、民間の製造業にスパコン売ったり、メインフレームの裾野を広げていけるんだ。というようなことを聞いた記憶があります。
時代が流れて、世の中は、メインフレームからワークステーション、パソコンへとダウンサイジングが進み、同時に、オープン化も進んでいきました。
僕は日立を辞めて、浪人の後に、SGIに入り、今度は外資の立場でスパコン調達に挑むこととなりました。SGIはクレイブランドの製品もありましたが、僕の頃は、スカラー演算マシンが主力で、並列マシンでありながら共有メモリを使えるということで、128CPUなどの単位で国産三社やIBMなどと競っていました。
詳しい裏話は面白すぎるのですが、まだ喪が明けてないと思われるので、今は書けないのが残念です。
SGI時代に感じたのは、既にSGIやIBMのスカラーマシンは汎用的な部品も多く揃えていて、コストが大幅に安かったんだろうと思います。世界中で売りまくっていたので、米国本社に値引き交渉しても、「うん、いいよ。そのかわり負けないでね!」って感じで返事が来ます。
対して、NECや日立のベクトルマシンは、ほんまそれ専用っていう製品ばかりで、高価な代物であることは明白でした。商売と言うよりは、営業マンの意地として調達に参加しているイメージです。昔はそれでメインフレームへの技術応用や、実績をもとに民間にもスパコン自体を売れたのでしょうが、傍目には大赤字でしょうねぇという感じでした。
あらく言えば、米国のスパコンが、「安価なワークステーションの集合体」であった時に、国産のスパコンはまだまだ「スーパーな高価なメインフレーム」という感じだったように思います。その後、世界的には、「さらに安いパソコンの集合体」に移っていくわけですが。
SEサービスや保守の確かさなどは当時でも圧倒的に国産三社が頭抜けており、日立から外資に移った僕にはもう胃が痛いことも多くあったのですが、ハード+ソフトの部分に関しては、先生方と、国産メーカーとで無理して付加価値を考えているところもあったように思います。
なんだか、国産携帯と、ノキアなどのグローバルメーカーの携帯との違いのような。
ベクトルマシンは国産携帯の大げさな必要ない機能とは違う!と言うなら、NECや日立がベクトルマシン開発から撤退しないようにすべきだったとも思います。
国産三社のスパコンの技術維持は、国家プロジェクトという名の、国からの援助でなければ無理なのは明白でしょう。国内メーカー側はもう商売ベースではどんなに理由つけても無理なのですから。そういう意味ではその国際調達には外資は入り込めません。
アメリカも軍事用などを中心に米国メーカーにお金を入れてますが、日米のメーカーの違いはそこから先のマーケットに展開できてるかどうかのように思います。元々のハードやソフトのデザイン段階、部品の段階で高コストになってることは間違いないわけですが。
国産三社の経営者も、本音はNEC、日立が撤退を決めたように、「もう辞めたい」んだと思います。対して、米国メーカーは、「他でも売ってるんだから、利益率低くてもいいからどんどん売ってこうよ!」って。
ほんまガラパゴス携帯みたい・・・。
なんか書きたいことはもっとあったように思うのですが、ここ最近の事情には疎いので、このへんで。