島を旅すると、自分の住んでる環境と違う風習、文化に接して嬉しくなることがあります。外国まで行ってしまうとそれは当たり前なので驚きも無いのですが、沖縄では、亀甲墓や石敢當を見かけると、「旅してるなぁ、僕。」と言う感じに。
さすがに僕が住んでいる香川の瀬戸内海の島では驚くほどのことはあるまいと思っていたのですが、先日出かけた豊島で、いくつかびっくりすることがありました。僕はこの日で豊島は5回目ぐらいだったのですが、それまでは特に気にしていませんでしたので、僕の中のアンテナが磨かれはじめているんでしょうね。
ひとつは、お地蔵さんなどの石堂です。
豊島の路地を歩いていると、辻ごとに小さなお地蔵さんや観音さんがあるのですが、多くのところで、そのお地蔵さんたちが、石のお堂にすっぽり覆われているのです。
(なにやら隠れるように中で佇んでいらっしゃいますね)
漁港の船だまりの近くには、大漁を祈ってか恵比寿さんがいらっしゃるのですが、この恵比寿さんたちも、独特な石のお堂の中にいらっしゃいます。
(家浦の漁港の恵比寿さん)
上の写真では、恵比寿さんは真ん中の石堂の中にいらっしゃいます。豊島石が頭にのった、独特の風格のある石堂です。恵比寿さんの姿は、正面の小さな穴からのぞかないと拝めません。手前に石の台なんかがあって、ここの恵比寿さんは、お腹ぐらいまでしか見えませんでした。
次に甲生(こう)の港へ。
静かな船だまりの近く。ここにも恵比寿さんの石堂がありました。作りは家浦のものとまったく同じですね。
(これまた立派な豊島石が頭に・・・)
蛸壺の花筒に目を奪われますが、パッと見ただけでは恵比寿さんはわかりません。やはり、正面の小さな窓からのぞきます。こっちは他にじゃまするようなものがなかったので、きちんと恵比寿さんの顔まで拝見できました。しかし、もうまさに「覗き込んでる」って感じでして、お参りしてる雰囲気ではありません・・・。お顔の写真は撮影しませんでした。
こんな感じで、そこかしこの石づくりの仏様や神様、お大師さんが、スッポリかぶせた石堂の中にいらっしゃいます。狭い島のことで大きなお堂を建てることをせず、特産の豊島石を使ってこういうお堂を作る風習になったのでしょうか?
それにしても、お顔が拝見できないまでの窓の穴の狭さとはいったい何を意味するのでしょうね。
何か情報のある方、ぜひとも教えてください。皆さんはどんな推理をしますか?気になった人は、ぜひ一度、豊島を訪れてみてください。
(昼過ぎの漁港は人もいなくて静か)