死について考える
2005年08月11日
昨夜は、某社の役員さんと大阪で打ち合わせ。そのまま早めにホテルへ。食事もコンビニで購入。ホテルのほんのすぐそばには、元先輩の勤めるE社があって飲みに行ってもいいし、なにより、ここらは僕が大阪時代に働いていたホームグラウンドだ。友人も元同僚多い。
が、今の僕には一人の時間が貴重。今回はホテルに篭って、急ぎの用件片付け、本を読もうと決め込む。テレビもあれこれ久しぶりに見たい。
と意気込んでみたものの、1時ぐらいにはやっぱり眠くなってくる・・・・。
寝る前に「死」についていろいろ思いをめぐらせたりした。(シンクロしてますね、ゆきえさん)
僕の息子(3歳)は自他認める「鉄道マニア」。そんなこともあって、テレビで電車が出てきたら凝視モノだ。JRの脱線事故の後、「ふくちやませんがだっせんしまーすー。がちゃーん!」と、持ってるトーマスらで遊んでいるので、注意した。
「それは言っちゃいけない」
「なんで?」
「あの事故では、たくさんの人が死んだんだよ。遊びのテーマとしては駄目。」
「しんだってなに?」
「うーん、もう会えなくなっちゃうんだよ。あのね・・・」
と、あんまり3歳児相手には的を得ない回答が続くわけです。息子は俗に言うプロレスごっこも好きで、僕がかみさんがいない間にだいぶ仕込んだのでいろいろするわけですが、娘ができてからはちょっと後悔。娘が寝てる横とかに「ふらいんぐぼでぃーあたっくー!!!」と、やってくる。
「こら!プロレス禁止!」
「なんで?」
「郁が死んじゃうやろうが。死ぬの!」
「しぬってなに?」
「うーん、もう会えなくなっちゃうんだよ。あのね・・・」
という毎日。自分を振り返って、死ということを意識したのはいつだったろうか?「死の恐怖」というものは幼少の頃からあったし、「おばあちゃん死ぬの?」「お母さん、死ぬの?」と近親者が「死ぬ恐怖」もかなり小さいときからあったと思う。自分が死ぬことについては、中学生時代に「なんか、胸が痛い・・・。肺がんかも」というように、妙に神経質になったものだが、ピンとは来なかった。
転機は、「おじいちゃん」の死だろう。「あぁ、人は死ぬんだ。」とやっと実感できた気がする。それからは、「死」をどう迎えるかや、末期医療の話、「どう死ぬかは、どう生きるかということ」といった類の本を学生時代の後半、読み漁ったように思う。
息子の質問にうまくこたえられない僕。葛藤はまだまだ足りない。
昨夜の就寝時間 2:00 今朝の起床時間 6:00
今日の昼ごはん 駅でカレー。
本日の体重 65.8kg(変化なし) 目標体重 63kg(2005/11/30までに)
投稿者 kmorita : 2005年08月11日 09:24
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■同じ年回りの子供を持つ親は、やっぱり同じようなこと考えるものらしい。
◎森田桂治ウェブサイト「死について考える」
編集長の息子さんは、ウチの娘... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2005年08月15日 07:10
コメント
自他認める「鉄道マニア」
の武石です。
前に江坂に行った時、ちょうど福知山線の運転再開の
日にあたって、現場を往復してきました。
報道陣、最前車両の見物人、
人がたくさんおって、
複雑な気分でした。
難しいですね、テーマが。
コドモは純粋ですよね。
たまに死んだ後のことを考えて
気が狂いそうになります。
森田ぱぱがんばれ★
投稿者 FT武石 : 2005年08月11日 12:57
SOトーチランのときに実行委員になって陰に日向に協力くださった朝日先生のHPです。わたしはこの先生の本を読んでから、「亡くなった大好きな人にはまたいつか会えるんだ」と信じることができて、平和な気持ちになりました。
投稿者 マロン : 2005年08月11日 16:56
実家のお墓参りに行ってきました。
亡くなった人は、今頃リュックに荷物をつめて、現世を覗きに来る準備をしているはずです。(根拠なし)
たとえばもりりんのおじいちゃんとうちのばーちゃんはお空の上で、うちの孫たちはなにしよんじゃーなんて井戸端会議していたら、おもしろいやないですか?!
幼児期における「死」の認識というのは難しいですが、まず、「大切にする」ということが大事なのかなー。人間でも、ものでも、その中には命がある・・・・おもちゃなどを乱暴にしていたら、イタイイタイっていっている・・などという擬人化で説明をし・・・
みんな心があるので、大切にって・・・。
大切な人と生きている間に真剣に付き合っていたら、死んだ後もその人の心がわかるらしいです。
この人だったら、こういうだろうって・・・・
うちの実家のお墓というか実家のある場所自体、ドングリランドより森の中なんで・・・ミンミンゼミの嵐でした。
投稿者 ゆきえ : 2005年08月11日 18:13
あっこはんは、一番に死ぬ事を教えてくれたのは、近所のコロというワンコでした。
いつも鼻垂らしていたら、ペロリンコと舐めてくれる優しい茶色い雑種のワンコです。
今でも、コロの事思い出したら、泣けます。うるるん。
そう言う事なのだって、分かる時が来ます。
体験しないと説明できない事も多いですネッ。
投稿者 あっこはん : 2005年08月11日 21:52
うちは二歳半で同居の祖母(私の母)が急逝
#子供が夜寝て朝起きたら葬式の準備が整っていた
寝て起きなくなって、お星様になったと教えました。
「死」という言葉を使う事がその時は出来なくて。
この夏、子供の曾祖母が亡くなって葬儀を経験し
去年の葬儀の光景と重ね合わせたのか何だか
わかっている様子です。去年は見ていない骨上げも
斎場も今年は見たので、「ばあちゃんの骨は?」
などと聞いています。骨を墓に入れる意味も。(^-^;;
最近は、ツバメの巣が蛇に襲われて子ツバメが
食べられてしまう、というのを親子で目撃しました。
子ツバメの巣立ちを知ってから、弱肉強食の世界観を
知るという順番が希望だったんですけどね。
そんなわけで身近な死を説明する日々が続いています。
つかまえたセミも死んでしまったら、ばあちゃんと
穴を掘ってうめてあげたりしているようです。
金魚もうめた時に、花を摘んであげてたような。
「わすれられないおくりもの」という絵本が評論社にあります。
これに習って、ひいばあちゃんは眼鏡や杖がなくても
お星様の所で、もう元気に歩けるのよ、と教えたつもりなのに
「あたらしい、ひーばー(ちゃん)来るかなぁ?」
なんてワクワクしてるあたり、やはり三歳児です。
投稿者 Olive : 2005年08月12日 00:15
ライアル・ワトソンは著書「ロミオ・エラー」で死とは一瞬ではなく連綿と続く営みのその一部と書いてますね。
うつ病の人たちと出会い、自分もうつ病になって考えました。出口はあるのかって。
実は、出口はないのね。
そのときですよ。ナウシカがなぜ「再生システム」を利用しなかったかがわかった。
病とともに生きること。それは「悪」でも「諦念」でもない。
新たなる生命たちに希望を託し続けること。
それがチベット仏教を通して「観念」としてではなく「実感」として理解したとき、安心しました。
私は言うかも知れません。
「その列車事故の電車遊びは子孫に伝えなければならない。」
空は高く、山は緑の真珠のように輝きます。
でぁ。
投稿者 ヤマトカケル : 2005年08月12日 00:16
皆さん、コメントありがとうございます。
SWで、ヨーダが、「死もまた営みの一部」という趣旨のことを、
言うわけですが、皆さんのコメント読んでいて思い出します。
「死」は終わりでもなく、恐怖の対象でもない。
毎日、深刻にならず、真剣になって楽しく生きていかねばなりませんな。
投稿者 kmorita : 2005年08月12日 11:13