百姓の次男坊
2005年08月17日
僕の父は、自分たちのことを「百姓」と呼びまして、僕はなんだか子どものころ、それが嫌で嫌でたまりませんでした。そういうおやじも、土を耕し始めたのは農繁期以外は爺さんが死んでからですけど、心根として「わしは百姓」という感じだったようです。
「百姓」という言葉に差別的な意識を持ってしまうのは、「百姓」の本当の凄さを知らないからかもしれません。僕の中学や高校時代の友人で農業を中心にやっている連中もいますが、多くは「花だけ」とか「イチゴだけ」で、とても、「百」はやってないですね。「百姓」ではなく、「農業者」なのでしょうか。
自分で納屋をたて、道具を修理し、米を作って子ども世帯に配り、同じ米を親戚に配り、野菜を作ってこれも子の世帯に配り、漬物を作り、梅の木になった梅で梅干をつくり、自分で作ったもち米で餅をつき、スイカやイチゴを作って孫の喜ぶ顔を見る今の父には、「百姓」を感じます。
縁あって、香川の自然、美しい風景を考える機会が続いているのですが、香川と言う土地の美しい風景は、「農」を前提にというか、代々の「百姓」の営みの中で作られてきたと実感します。この田園風景は観光資源といえます。が、「農」の軽視のためか、景観自体もひどく痛んで見えます。
そういうことを考えるとき、僕は「農」のことを知らないなぁ、「土」のことをまったく知らないなぁと感じ入ります。「百姓」の次男坊とは、まぁ、戦後はそういうものなんでしょうかね。
投稿者 kmorita : 2005年08月17日 17:27
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コメント
百姓!それは、黄金の仕事だったのですね。
そう言えば、確かに、百姓さんは、なんでもできましたよね。
蜂とか、猪とか、竹細工とか、藁細工とか、アヒルとかもしていた様な気がします。
自然系仕事の頂点だったのですね。
100に変身できないかん仕事人だったのですね。
なんだか、今、なりたい仕事みたいな気がしてきました。
百姓目指すどぉぉぉーっ。
投稿者 あっこはん : 2005年08月17日 21:17
僕の爺さんもなんでもやってましたねー。
菰編みとか、肥作りとか。そうそう、鳥関連は香川はメジャーですね。
そう言えば、じいちゃんが子どもの頃は、畑で取れたものを加工して、飴とか作って、売っていたようです。
種→栽培→収穫→加工→流通→販売
までやっていたんですね。
投稿者 kmorita : 2005年08月18日 11:46